なお、江華島はその地政学的理由から、自国の商品の販路をひろげ、原料を手に入れるようとする列強の国々にも次々に攻められました。そして、世界最強だったモンゴルの軍隊も度々侵入し、その度に朝廷は、第二のソウルとして江華に遷都しました。 | |
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39年もの間、事実上の高麗朝の王道の役割を果たしたこともある韓国第5の島です。 史跡としては檀君王(ダングン)の建国神話の舞台として有名な摩尼山(マニサン)、韓国仏教の31本山の1つである伝燈寺、モンゴルの軍隊に備えた城壁や、朝鮮王朝末期に開国を迫る列強と対峙した要塞などが残り、数々の史跡には護国精神が宿っています。 |
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江華島内で最も高い標高468mの摩尼山。韓民族の始祖檀君が降臨した地と伝えられる建国神話の舞台。建国の起源は紀元前2333年のこととされ,それ以来摩尼山は聖峰としての長い歴史を刻んできた。 | |
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登山口から約1時間。 山頂は狭いが黄海は渺茫と白く光り,甕津郡の島々も眺められ素晴らしい景観が見渡せる。全国体典(国体)の聖火は,この山の頂上で美しい聖女が舞う中採火される。 毎年10月3日の開天節には7聖女による聖火奉納も催される。 |
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仏教伝来と時を同じくする372年に創建された韓国最古の寺。高麗25代忠烈王の最初の王妃貞和が玉燈を献灯したことから伝燈寺と命名された。 寺の庭に入るとまず最初に目に入る樹齢600余年の銀杏の木。その昔国の税を地域の特産物で納めることが一般化していた時代、伝燈寺ではこの銀杏を納めていました。 | |
釈迦三尊を奉安する本堂大雄宝殿と薬師殿は、李朝中期の17世紀の建造物でいずれも高麗時代の建築様式を残しており、鉄製梵鐘とともに国宝に指定されている。 | |
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大雄宝殿は頭貫の端に蓮華が、梁の端には鬼が、四隅柱の上部には女性像が彫刻され、天蓋の周囲にも極楽鳥や龍、蓮華などの装飾が施されており、仏教建築の傑作である。 この女性の像は、寺を建てた棟梁が、彼を裏切って逃げた女性が死んでもその罪を償うようにと体で屋根を支える姿に彫刻したという話が伝わっている。 旧暦4月8日の花まつりの日(釈迦の誕生日)は,全山献灯で輝き荘厳な景観を呈す。 |
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江華島には古代から人が住んでいたため、歴史的な遺跡が多くある。世界文化遺産に指定された支石墓はその中で最も代表的なもの。青銅器時代に江華島に住んでいた人々が支配階級に属する人物たちを埋葬して石で作った墓で、その数は80基にも上る。 | |
青銅器時代の代表的な墓祭の一つとして、テーブル形の北方式ドルメンだ。この支石は高さ2.6m、長さ1.7m、幅5.5m、蓋の部分の重さは8000kgの巨石で、大きさでは韓国最大である。 |
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先史時代から近世の国防遺跡などを一目で見ることのできる 江華歴史館は、第一展示室「開国始原」、第二展示室「江華の文化」、第三展示室「江華の戦争史(高・朝)」第四展示室「江華の戦争史社(近代)」から構成されており、旅行の出発地であり終着地でもあります。 | |
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島の東側を流れる漢江の支流で、狭い水道にめじろおしにつくられた諸砲台の一番南、水道の入り口にある。海上から侵入する外敵を防ぐために孝宗7年(1656)に構築した要塞。近世の外浸に根強く抗戦した激戦地だ。後に1875年江華島修好条約締結を招来することになり、日本侵略の門戸を開放することになってしまった。 | |
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高麗時代、度重なる蒙古襲来のため、1232年江華島に都が移された際の39年間の宮殿跡。1977年に補修されて現在にいたる。 | |
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D/A/T/A |
場所 |
京畿道 江華島(カンファド) ソウルより専用車で1時間30分所要 |
電話番号 |
032)934-2183~6 |
休日 |
年中無休 |
入場料 |
一人当たり *価格はお問い合わせ下さい。 |
日本語ガイド |
無し | | |