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朝鮮王朝第22代正祖大王は自分の父親(思悼世子:後莊祖に追尊)が政争によって犠牲になった(米櫃に閉じ込められ殘酷に殺された)ことを常に悼みながら、親孝行心を持って成長しました。 英祖(正祖の祖父)に引き続いて卽位し、13年後、父親の思悼世子の孤魂を慰めるため揚州から父親の遺骸を水原の南にある花山に移しました。その後、思悼世子に対する親孝行と強力な王都政治を夢に正祖18年1月から20年9月まで2年8ヶ月にかけて華麗で雄大な城郭(華城)を築城ししまたが王都として使われれることは一度もなく幻の都として今に至るのです。 |
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華城は現在史蹟第3号と指定され、1997年12月ユネスコが指定する世界文化遺産に登録される。 | |
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韓國の城郭の中で最も科學的構造を緻密に配置し優雅で莊嚴な貌樣をしています。 特に城郭の築造に石材とレンガを使用したこと、その上矢と槍と劍等を防御するための構造だけでなく、銃砲を防御するための近代的城郭構造で、又用材を規格化して挙重器等の器械を活用したこと等が韓国の城郭史上特記することです。 | |
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華城の城郭は韓国で最も最近構造した城で、城郭には東西南北の関門があり、北側は長安門、 南は八達門、西は華西門、東は創竜門が位置しています。 各門の間には敵情を監視する空心墩を造り、西将台、東将台の2ヶ所の将台を造り、兵士を指揮訓練させたりした所である通信施設の烽火と四つの角数、城の中央部に流れる水原川の北部の北水門(華虹門)、南水門等を築造し、韓国で最も科学的な設計をもとにして築いた城郭です。 |
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華城の規模は城郭の長さ5.7km、面積は130haで、東の地形は低い丘陸地となっており、西の方は八達山に掛かっている平山城の形態で機能に合わせて約50ヶ所の施設物を築造し、施設の41ヶ所は芸術的な美がある韓国国有の桜閣を設置してあります。築城の動機が軍事的、政治、経済的側面と親孝行心によって築いた城で都市基盤の施設の大門、道路、橋、商店街等を設置して、生産基盤施設の貯水池、屯田を経営し、計画的な新都市を建設しました。 | |
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華城は18世紀の東洋の城郭を体表する韓国伝統建築の完成品で築城の計画、制度、方式だけでなく、建築した人々の人的事項、材料の出処及び用途、工事日程等が“華城城役義軌“という本に完璧な記録が残っており、建築史的価値が高いです。 50ヶ所の施設物が各々の固有な美しさを持っており、城郭の全体が一つの芸術的作品となっていて、華虹門は水門の機能に加えて、七つの水門の上に築造した門楼が又一つの芸術品として、調和する訪花随柳亭と共にまるで一幅の絵を見ている気分になります。 |
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華城の北側の城門で華城の正門とも言えます。 八達門と共に華城の代表的建物として、八達門から大通りがあり長安門へ至り、漢陽(現ソウル)に通じる道が出ていました。長安門の規模や構造などは八達門とほぼ同じ(高さ20m)でソウルの南大門より少し大きくしたのが特徴です。 | |
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八達門は宝物第402号に指定されてる華城の南側の大門。 周囲を半月型の石塀で囲んだ二層桜閣。大門の高さは19.5mで、屋根の形式は隅進角屋根で雄大さと威厳を表しています。 特に大門の右側の石築には城門を築いた関係者の人員や名前が刻まれています。 | |
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城壁と水源川の交わる部分に造られた水門で、別名北水門と呼ばれています。水門の上には華城に繋がる石橋になっており、人が通過できるように造られています。橋の長さは30m、幅9.9m。 7つのアーチ状の水門の上には桜閣が造られ、7つの水門を水が溢れ出る様子は優雅な趣があります。 | |
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将台は周辺の四方を見下ろし、軍事を指揮した所で華城には西将台と東将台があります。華城将台は2階構造になっており、2階に上がれば四方十里(約40km)が見え、城内にいる兵士達を一望しながら指揮する指揮本部です。 正祖が陵に詣でるため華城を訪れた際には、西将台から直接軍事を指揮したと言われています。 | |
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水源にある韓国民族村から専用車で15分程度かかりますのでぜひ寄ってみてください。 | |
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D/A/T/A |
場所 |
京畿道 水原市(スウォン市) ソウルより専用車で1時間所要 |
電話番号 |
031-246-5665 |
開園/館時間 |
3月~11月 09:00~18:00/12月~3月 09:00~17:00 |
休日 |
年中無休 |
入場料 |
個人 1,000ウォン 団体(30人以上) 学生 500ウォン 団体(30人以上) *価格はお問い合わせ下さい。
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日本語ガイド |
無し | | |