王朝時代の遺跡.昌徳宮(チャンドックン)
270年間、正宮の役割を担った優美で壮麗な朝鮮王朝の宮殿として世界文化遺産に
指定される昌徳宮は公的空間である宮闕と王家の居所である宮殿、そして庭園であ
る
後苑に大きく分けられます。
朝鮮時代の宮闕建築の脈を引く唯一の宮としても数ある王宮の中でも唯一、世界文
化遺産(1997年12月)にも登録された宮で、王たちの休み場として使用された後苑は3
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0年を超える巨木と池、東屋など造園施設が自然と調和を成した所です。
朝鮮王朝時代の宮殿のなかで、最も原型通り保存されている宮殿
昌徳宮は朝鮮王朝第3代国王である太宗が1405年に離宮として建てましたが、1592年の壬辰倭乱で焼失し、1606年~1610年までの復旧作業後、景福宮が1868年に再建されるまでの300年間、正宮として使われました。
そのため五大王宮では最も保存状態がよく、当時の雰囲気を今もそのまま漂わせています。
そして、昌徳宮の最大の見所は、北側一帯を占める韓国最大の庭園である秘苑(ビウォン)です。うっそうと大木が茂り、谷や池、川などが自然そのまま配置された庭園の中には韓国を紹介する写真に最もよく登場する芙蓉亭と宙合楼などが 観光名所となっており、特に宙合楼から望める景色は実に素晴らしいです。
敦化門 (トンファムン):宝物第383号
第3代国王太宗12年(1412年)に
昌徳宮の正門として創健され、1592年の壬辰倭乱で焼失し、1608年、光海君のとき再建されました。ソウルに残っている木造の2階門としては最古の物としてその時から今まで約400年間、原型をとどめている文化遺産です。
仁政殿(インジョンジョン):国宝225号
仁政殿は、景福宮が1592年の壬辰倭乱で焼失し、1868年に再建されるまでの300年間、この
仁政殿が正宮として使われた宮殿。国王の即位式、外国使節の謁見、朝賀の礼など、国の重要公式儀式を行った所です。
仁政殿は、威風堂々たる重層入母屋作りで、中は吹き抜けになっています。景福宮の正殿である勤政殿と同じように、国王の権威を象徴するために、屋根が2層になっています。
仁政殿の前に広かる庭は位階を示した石柱が縦に並んでいます。ここは、様々な行事が行われる時、官吏たちが位に従って参列した所であります。
仁政殿の外壁も内装も、実に見事に装飾されていて、特に王座の後ろには、「日月五峯園屏風」と呼ばれる、国が幸福に発展していけるようにという意味を持つ屏風があります。
天井には国王を象徴するものが描かれています。そして、朝鮮王朝時代末期の1908年、この宮殿にも西洋文化が流れ込み、床を西洋式に変え、天井には電灯が設置されています。
宣政殿(ソンジョンジョン):宝物第814号
王が日常政務を行っていたところで、
現在韓国に残っている唯一の青瓦殿閣。仁政殿には、廊下でつながっていて、宣政殿と仁政殿の間には、たくさんの官庁がありましたが、日帝時代にすべて壊されてしまいました。
建物の中央には王が日月五岳図を背景に座り、その前に臣下が東西二列に位置し、政務を行いました。
煕政殿(ヒジョンジョン):宝物第815号
国王が日常生活していた住居で、御前会議室としても使用された。1917年に火事で焼失しましたが、1920年に再建された物です。
朝鮮王朝時代、最後の国王純宗は、1926年に亡くなるまで、ここで晩年を過ごしました。
最後の国王純宗が実際に生活していたため、内部は洋間もあり、西洋から取り寄せた装飾品などもあります。
大造殿(デジョジョン):宝物第816号
国王と王妃の御寝殿であり、王とその家族が生活した中宮殿でもある。屋根に竜の形をした瓦がないのが特徴で、竜は王を象徴するため、王のいるところに他の竜がいる必要がないという意味があります。宮殿の西側には、王妃が使っていたベッドが置かれているオンドル部屋があり、東側には、国王と王妃の寝室を囲むようにして、宮女たちが待機する小さい部屋があります。
ここは、1910年8月、ここで朝鮮王朝時代、最後の御前会議が開かれ、日韓合併が決定された所でもあります。
錦川橋(ギンチョンギョ)
錦川橋は、1411年第3代国王太宗のときに建てられた当時のもので
ソウル最古の石橋。下に流れる川を錦川と言い、宮廷の中と外を区別するという意味と、北から南に流れているため、風水学的に見て明堂水の意味があります。
この橋の中央は、国王だけが通ることのできる道で橋の両側には、雑霊を寄せ付けないようするために、縁起の良い動物たちが守っています。
秘苑(ビウォン)
昌徳宮の北側にある広大な庭園として昌徳宮と共に世界文化遺産に指定されています。歴代の国王たちが瞑想に耽ったり、狩をしたりした休息の場所として利用し、池や丘、川などがあり、自然を生かした庭園で芙蓉池は、格別美しいです。
また、森の中には、たくさんの小さな建物(東屋)が点在しています。
各年代の国王たちが自分の好みで作ったもので、同じ形の物はありません。それぞれ名前が付けられていますがそのなかで、演慶堂は、当時の民間の家を模して作られているため、鮮やかな色彩の塗装が施されていません。
しかし、季節によって異なる色鮮やかな雰囲気と美しい調和の美を醸し出している場所として最高の庭園とも言えます。