王朝時代の遺跡.昌慶宮(チャンギョングン)
朝鮮王朝時代、ソウルにあった5つの宮殿の一つで、先王と家族のために立てられた
離宮。今は史跡123号に指定されている昌慶宮は、 1419年、ハングル文字を創った
朝鮮王朝第4代国王世宗が、父である第3代国王太宗のために建てた寿康宮があっ
た所。
その後、しばらく放置されていましたが、1483年、第9代国王成宗が、3人の大妃(第8
代国王の王妃)たちのために再建し、昌慶宮と名前を改めました。
昌慶宮(チャンギョンクン)
韓国の王宮の正殿は、すべて中国の「天子南面」(主君は南に向いて座る)という、「易経」に従って南向きに建てられていますが、
昌慶宮の正殿である明政殿だけは唯一東側を向いて建てられています。 これは、国王が国の重要公式儀式を行ったところではないからだ、という説と、高麗時代の伝統的な影響を残しているからだ、という説があります。
日韓併合時代には、日本軍により敷地内に、動物園や植物園、博物館などが作られたため、王宮が著しく傷つけられ、1911年に名前も、昌慶苑に格下げされました。
しかし、1986年に娯楽施設は撤去され、名前も再び昌慶宮と改め、かつての静かな王宮の姿を取り戻しています。植物園は、敷地の北側に大温室として残されています。そこでは、韓国固有の蘭や、韓国しかない貴重な野草などが観賞できます。
弘化門(ホンファムン):宝物第384号
昌慶宮の正門で朝鮮王朝の成宗15年(1484年)に創建された物。塀の左右に十字閣が置かれ、他の王宮の正門とは違って東向きに建てられています。
全体的に雄壮な構造の感じであるが荘重な美しさと共に親近感も感じられます。
玉川橋(オッチョンギョ):宝物第386号
中央の宮殿である正殿に入るときには、風水の思想に従って正殿の正門と宮殿の間に造られた明堂水(ミョンドス)という小川を渡って入っていくように造られました。
玉川橋は朝鮮第9代王の成宗14年(1483年)に明堂水の上に架けられた橋でこの石橋は虹の形と同じ半円形の造形物の上に長い石で『井』の形を造り、そこに平たい石をはめ込んで造られました。
明政殿(ミョンジョンジョン):宝物第226号
昌慶宮の正殿で、朝鮮王朝の第9代成宗14年(1483年)に建てられ、壬辰倭乱の時に焼失されましたが光海君8年(1616年)に再建しました。
朝鮮時代の宮中殿閣はほとんど南向きですがこの明政殿だけは東向けです。前の朝廷では即位式、朝賀の儀式、科挙の試験、各種宮中宴会など公式的な大きな行事が多く行われ、そして、現在残っている王宮の法殿の中で最も古い物です。
通明殿(トンミョンジョン):宝物第818号
昌慶宮の中宮殿(チュングンジョン)で内殿の殿閣の中で最も大きく、正殿兼宴会場です。
他の王宮同様屋根に鬼瓦がないのが特徴で、女性の生活空間らしく建物の周囲に花壇や池などを配し、華麗に飾られていました。そして、通明殿という扁額は純祖の親筆です。