東洋最古の『天文台』。昔の風景を感じられる場所。
皆さんアンニョンハセヨ!!ご機嫌いかがでしょうか(*´∀`*)さて、今回は七世紀中頃に築造された東洋で最も古い天文台『瞻星台』をご紹介致します。新羅時代、天文を観測した『瞻星台』は東洋最高の天文台で新羅善徳女王(西暦632~647年)に築造され、今では世界文化遺産の一つになっています。ここ『瞻星台』はパッと見た感じ、「こんなもんか」と思えるほど平凡な塔に見えますが見れば見るほど、そして知れば知るほど奥が深く魅力的な天文台なんですよ~。一体どこがそんなにすごいんでしょうか?遠くから見たんじゃ分からない何か秘密があるようです。気になりますね。夜はライトアップされるという『瞻星台』。昼と夜の違う雰囲気も気になりますね。なんだか沢山秘密がありそう!さぁ、その知られざる魅力に迫ってみましょう!早速GO!GO!GO!
知れば知るほど不思議な天文台『瞻星台』の魅力は??
これは昼間の『瞻星台』。一見「うん、普通」って感じのする地味な塔。なんだか
チマチョゴリを着た女性が立っている様にも見えますね。
でも知れば知るほどすごい秘密が隠されているんですよ~!
高さ9.108m、下部直径4.93m、上部直径2.85mのこの天文台は
7世紀中頃に造られ1962年に国宝第31号に指定されました。花崗岩を材料にして積み上げられていて、高さ30cmのレンガ状のものを
361.5個重ねているのですが、ここでまずすごいのは『
361.5』という数字なんです。これは
陰暦の1年の日数なんだそうですよ。そして
窓の上下が各12段ずつで積み上げられていてこれは一年の12ヶ月を、上下12を足して24節季を表しています。1300年以上前に造られたものなのにかなりの高技術で造られています。それだけではないんです!頂上の井戸のヘリの様な形の岩は、新羅の
“子午線”で、四角の面はそれぞれがきちんと東西南北を指しています。窓は真南にあり、
春分と秋分の時には窓からの光が塔の底までを照らし、夏至と冬至には塔の下の部分から日の光が完全に消える計算の元で造る事によって春夏秋冬を分けていたんだそうです。因みに、
一番下で支えている長方形の岩も12個なんですよ。素晴らしい!
こちらは夜の『瞻星台』。昼間とは雰囲気が一変します。東洋最古の天文台は昼夜問わず見物出来る様に配慮されています。昼間とは違い、なんだか神秘的です。天文台を見ていると新羅時代の人達がどの様にして空を観察していたか、又どの様に生活に役立てていたかが見えてきます。
毎日はしごを使って窓から出入りし
【太陽の光】【星座や月の動き】【月食】を記録し、農作業や国家事業に役立てていました。この時代からこの天文台は無くてはならないものとなったのです。
さて皆さん、『瞻星台』の読み方分かりますか?答えは
“せんせいだい”です。すごく難しい漢字ですが、
『瞻』の意味は“見る、見上げる”という意味です。すなわちこの展望台は星を見上げる台としてこの時代の人達の願いが沢山詰まった展望台なのです。
非常に科学的な建造物であり、積み上げた
一つ一つの石にも象徴的な意味が含まれているだけでなく、
天文学的な計算がなされている『瞻星台』が1300年以上も前に造られていたという事に
新羅の水準の高さを感じさせられます。
この時代の天文学者達はこの天文台に登り、一晩中空を見上げて星を観察していたのではないでしょうか。首が痛いのも我慢し後世へと伝える為に忠実に記録し続けていた事でしょう。この天文台にはそんな新羅時代の人々の夢や希望が詰まっており、当時の人々の願いが沢山込められている天文台です。日本円にしてわずか数十円、興味のある方は是非この『瞻星台』を見に、そして感じに行ってみて下さい。
歴史の詰まった街、慶州で素敵な思い出を・・・(*^-^*)