雲楊号事件の現場・草芝鎮
草芝鎮は海上から侵入する外的を防ぐために、孝宗7年(1656)に建築した要塞です。鎮内には草芝墩台を含め艦船3隻と40門余りの大砲を保有していました。高宗3年(1866)9月天主教弾圧を口実に侵入したフランスの極東艦隊(ローズ)、高宗8年(1876)4月に通商を強要し、侵入したアメリカ亜細亜艦隊(ロジャース)、高宗12年(1875)8月侵攻した雲楊号(日本軍艦)と熾烈な激戦を繰り広げた場所で、近世の侵攻に粘り強く戦った激戦地のひとつです。結局、日本軍艦雲楊号の侵攻は高宗13年(1876)強い圧力に負け日朝修好条約(丙子修好条約)を結び、仁川・元山(北朝鮮)・釜山を開港したために、韓国の主権を失ってしまったのです。
江華島の南東に位置
草芝鎮(チョジジン)は
江華島(カンファド)の南東に位置し、江華の関門である草芝大橋のたもとにあります。砲台があるのは、江華海峡望む沿岸の北から
甲串墩台・
広城堡・
徳津鎮と続き一番南にあるのが草芝鎮です。草芝鎮に行くには、ソウルからは
地下鉄2号線、新村駅から出ている3100番のバスに乗れば乗り換え無しで行くことができます。また、草芝鎮のある
江華島は、韓国で5番目に大きな島で、小島を含める総面積は約408km²、人口は約7万人ほどです。江華島には、金浦から江華大橋、仁川から草芝大橋の2本の橋が繋がってます。韓国の河川のひとつである漢江の河口にあり、ソウルから北西に50kmのところに位置しています。島の北側は北朝鮮の黄海北道と面しており、島の北側の海沿いには北朝鮮を望める
展望台があり、肉眼で北朝鮮を見ることができます。
日朝修好条約を結ぶきっかけになった場所
江華島の観光解説士・若月栄子さん
若月栄子さん草芝鎮、いかがでしたか?日本も幕末に黒船がやって来て、西欧列強に開国を迫られた時は脅威だったでしょうが、お隣の国韓国でも同じ事が起こっていたのです。そんなことを詳しく解説してくれるのが
、観光解説士の若月栄子さんです。若月さんは奉仕活動の一環として観光解説士をなさってるそうで、日により
草芝鎮や
江華平和展望台などを回って解説してくれるそうです。事前に
江華郡文化観光課のホームページで申し込んでおけば無料で解説していただけます。ぜひ江華島に行くときは若月さんの解説を聞いて見てください。