江華海峡を守る要衝地・徳津鎮
徳津鎮は朝鮮時代、江華海峡を守る要衝地として、孝宗7年(1656)国防力強化のために造られ、粛宗5年(1679)龍頭墩台と徳津墩台を建て、徳津砲台と南障砲台を有することによって、江華海峡で一番強力な砲台として知られていて5鎮7堡の真ん中で一番重要な所を守っていました。フランス軍の侵略丙寅洋擾(1866)の時は梁憲将軍の部隊が徳津鎮を通る鼎足山城に入っていくフランス軍隊を撃破し、1871年アメリカ軍の侵略の辛未洋擾の時はアメリカ艦隊と一番熾烈な砲撃戦を始めたところです。また徳津鎮には大院君の命で建てられた警告碑がありますが、これはいかなる外国の船舶もみだりに海峡を通過できないという当時の鎖国の強固さを誇示しているのです。
広城堡と草芝鎮の間にある砲台・徳津鎮
徳津鎮は
江華島の南東に位置し、広城堡と草芝鎮の間にある砲台のひとつです。また江華島にある砲台としては、江華海峡を望む沿岸の北から
甲串墩台・
広城堡、そしてこの徳津鎮と続き一番南にあるのが
草芝鎮です。徳津鎮には、ソウルから
地下鉄2号線、新村駅から出ている3100番のバスに乗れば、乗り換え無しで行くことができます。また、徳津鎮のある江華島はソウルを流れている漢江の河口にあり、ソウルから北西に50Kmのところに位置しています。島の北側は北朝鮮の黄海北道と面して北朝鮮と隣り合わせの島となっています。因みに江華島は、
高麗人参、赤カブ、よもぎなどが有名で、それを使った料理もたくさんあります。また、江華島は干潟大国だけあり、そこで育った
うなぎも有名なので、ぜひ一度食べてみてくださいね。
門楼である控海楼
徳津墩台
徳津墩台は、草芝鎮に所属する二つの墩台の中のひとつで、
広城堡と
草芝鎮の中間に位置し
、江華水路の一番重要な要塞地です。辛未洋擾(1871)の当時アメリカ艦隊と48時間、熾烈な砲撃戦を展開したところです。
南障砲台
南障砲台は、徳津鎮に所属する江華の8つの砲台の中のひとつで、低い位置に砲座を設置し、江華海峡を通過する船舶を攻撃することができるように造られました。また、南障砲台では10門の大砲が配置されていて、江華陣地の中で一番強靭な火力を誇ったところで、高宗8年辛未洋擾(1871)の時、徳津墩台と共にアメリカ艦隊と熾烈な砲撃戦を展開したところです。
徳津鎮警告碑
徳津鎮警告碑は徳津鎮の南壇にある徳津砲台の前にあり、朝鮮高宗4年(1867)に興宣大院君の命により、江華徳津僉使が建てました。開化黎明期に外国の船舶の出入りを統制するため、警告として建てられました。碑文には「海門防守他国船慎勿過」と刻まれており、これはどんな船舶もむやみにこの海峡を通過できないという鎖国の意志を表していたのです。また、警告碑の右下には弾痕の痕が、今も生々しく残っています。ちなみに、碑の大きさは、高さ147cm、幅54.5cm、厚さ28cmとなっています。
開国の波に打ち寄せられて・・・
徳津鎮いかがでしたか?
日本も幕末に
黒船がやって来て、西欧列強に開国を迫られた時は脅威だったでしょうが、やはり朝鮮王朝末期にも同じく
開国の波は押し寄せて着ていたのです。そんな歴史に触れてみるのもいいでしょう。広城堡と草芝鎮・
甲串墩台と合わせて見るのをお勧めします。