王朝時代の遺跡.宗廟(チョンミョ)
時の流れを無言で語るかのような厳粛さの漂う空間として厳格な儒教の教えが息づく
世界文化遺産1394年、太祖(1335-1408)・李成桂が朝鮮王朝(1392-1910)の建国とと
もに、景福宮と同時に建てた建築物で、特に功績があった朝鮮王朝の歴代王と王妃
の位牌を祀った霊廟。
広大な敷地には伝統的な荘厳な儀式である祭礼や祭礼楽など、長い伝統と慣習がそ
のまま保存され、世界文化遺産に登録されています。
宗廟(チョンミョ)
宗廟には三つの門と正門を入ると三本の道があります。
三つの門には位牌の通路である南の神門、祭祀時に祭棺が通る東門、そして楽工と班列員のある西門があり、三本の道の少し高い真中の道は亡くなった王のための道で、東側は王、西は王世子のための道となっており、真中の道は正殿に続き、両側の道は斎戒沐浴して祭祀の準備をする部屋へとつながっています。
心と体をきれいに整えた後、王と世子は典祀庁へ移動し、典祀庁は祭祀を行う食物を準備する所で、庭を中央に建物をロの字型に配置してあります。
宗廟の中心である正殿は歴代君主の位牌を奉って祭祀を行う空間。
王に対して祭祀を行うのは中国から伝わったものですが、現在までその伝統を維持しているのはここだけです。
正殿には西側第1室に太祖を初め高徳のある歴代国王と王妃の位牌49位を19室の各部屋に奉っており、正殿の塀の中には君主に誠実に仕えた臣下たちを奉った功臣殿があります。 また、正殿と永寧殿のある廟庭には樹木や草花を一切植えてない。
反面、囲いの周辺には厳選された特別な樹木が植えられています。
四方を鬱蒼とした幽玄な森に作り上げ廟庭だけが空に続く空間となっています。天からの精気を授かり、そこに霊的な力が満ち宿るように作り上げられています。
宗廟祭礼楽は、器楽や歌、踊りで構成されている祭礼楽ですが、500年前の旋律を今日までそのまま伝えるもので、現在世界で最も古い儀礼文化となっており、毎年5月の第1日曜日(変更の場合もあります)にその行事を見ることができます。
正殿と永寧殿の建築を語る
正殿と永寧殿は建築的に明確に分節された囲い、前面に長く整えた石を積み上げて作った広い月台(東西109m、南北69m)、基壇、柱、屋根など建築を構成する部分で祭礼用建築物が兼ね備えるべき機能と空間を完璧に取り揃えており、その象徴性を高めています。横に地の果てまで続くかのような廟庭月台は安定を、建物の前面には無限に反復されるかのように立ち並ぶ列柱が絶えることのない王位の永続を、平地に空間の果てまで広がるかのような屋根は無限を象徴してます。
特に正殿の建物は韓国の単一建物としては最長の建物(101m)です。正殿と永寧殿建物は、反復と対称を基本とする 空間構造をなしています。
そして、建築物の造営技法は極めて単調です。必要不可欠な装飾だけが存在し、丹清も色彩や紋様使用を可能な限り差し控えてあります。高度に節制した省略技法で一貫されています。建物と同様、庭の構成要素もやはり極めて単純です。
神路、月台、基壇、囲いなど必要最小限な物だけが必要な空間だけに配されています。このような構成、装飾、色彩の簡潔さと単純さは宗廟建築をより壮厳なものにしています。
正殿(チョンジョン):国宝第227号
李朝時代の初期には太祖の4代祖の位牌を祀り、それ以降は当時の在位王の4代祖と歴代王のなかでも特に功績のある王と王妃の位牌を祀り、祭祀を行いました。
現在正殿には西側を最も上とし、第1室である西側1番目の間に祀った太祖(1代目)の位牌をはじめ、李氏朝鮮の最後の皇帝である純宗皇帝(27代)まで、各王と王妃あわせて計49位の位牌が19室に祀られています。
永寧殿(ヨンニョンジョン):宝物第821号
永寧殿は、
正殿にずっと祀られていなかった王と王妃の位牌を移動し、祭祀を行った別廟で、空間が不足していたため、別途建立したもの。永寧殿の建物と廟庭の規模は正殿よりも小さく、2つの建物の階級の違いを表わしています。
また永寧殿には正殿に祀られなかった王と王妃、そしてのちに称号を贈られた王と王妃のあわせて34位の位牌が16室に祀られています。
功臣堂(コンシンダン)
正殿の廟庭下月台の南側右下に位置する建物で、
朝鮮王朝の歴代功臣の位牌を祀った場所。創建時に3間にすぎなかったものが以降9間に増え、現在は16間もある長い建物になりました。
ここに王の神室もありますがその格式は多少低くなっていて、位牌を祀っている他の建物と同じく4面ある壁のうち3面がレンガでふさがれています。