フィリピン軍戦争参戦碑1950年6月25日韓国戦争が勃発する4年前に独立したフィリピンは共産反乱軍と交戦状態にあって国内情勢が不安定だが、5000名規模の連隊戦闘団を派遣しました。
前進橋検問所板門店の中に入る関門の一つで、今まで観光客には統一大橋一つしかなかったのですが中央高速観光から1師団に要請し、初めて前進橋で通過する検問所として JSA 訓練場及びヘマル村を経由、周りの軍関連施設を見学しながら板門店に入ります。
模型訓練場板門店に勤めている兵隊の訓練場
非武装地帯のヘマル村失郷民1世帯と縁故者が入居する為に1998年から住宅団地を造成して現在には36世帯が入居して世帯の大部分は夫婦で2~3人程度が入居している。
帰らざる橋と斧蛮行事の現場共同警備区域の北西側の端、軍事分界線の真ん中を通す南と北の連結橋である“帰らざる橋”が置かれている。そして“帰らざる橋”のすぐ先には1976年8月18日北朝鮮軍によって無惨な事をされた斧蛮行事件の現場が置かれている。
第三警備所(野外展望台)観光客が自由の家、軍事停戦委員会の本会談場を見学した後、共同警備区域の南側にある展望台の第三警備所に至る。ここに至ると板門店の境内施設を含めて帰らざる橋、北朝鮮の開城市、松岳山、休戦協定の調印場所、北朝鮮の警備所、宣伝村のギジョンドンなど板門店の周りの全般的な風景を眺めることが出来る。
北朝鮮の板門閣板門閣は北朝鮮側が管理している施設物の中で代表的な建物である。自由の家から80m離れた所に位置している北朝鮮の板門閣は1969年9月に建立された。
自由の家自由の家は韓国側で管理している建物である。1965年9月始めに建てられた。自由の家はいろいろな南北会談や接触、交流などを支援して南北間の連絡事務を行っている。
共同警備区域(JSA:Joint Security Area)板門店の共同警備区域は前後左右の距離がわずか800mしかならない狭いところである。休戦協定を締結した以後、共同警備区域は1976年8月18日北朝鮮軍の斧蛮行事件の以前までにはその地域は完全な中立地帯であて、UN軍と北朝鮮軍が互い往来して共同で管理するなど、言葉通り「共同警備区域」だった。
平和の家平和の家も韓国側で管理している建物である。自由の家から130m程南側に置かれてある。1980年12月、現在の位置に新しく建てられた。平和の家では軍事会談を除いて主に政治、経済、体育会談など民間部分の南北会談が韓国側で開かれるとき、ここで開催される。
統一公園統一路に沿って、文山(ムンサン)の入口に至ると統一公園がある。この統一公園には韓国戦争の傷あとが残っている。韓国戦争の従軍記者の追念碑、肉弾10勇士の忠魂塔、キンマンスル少尉の胸像、イユジュン大佐の記念碑などがある。