史跡172号、不思議な話が隠れている古墳
みなさんアンニョンハセヨ!ご機嫌いかがですか(❀ฺ´∀`❀ฺ)ノさあ、今回は町全体が国宝と言われている慶州にある古墳をご紹介したいと思います。慶州は日本でいうと京都みたいな場所と言われていて、お寺や世界文化遺産などがわんさかあるので古墳もすごく沢山あるんですが、そんな数多くの古墳の中からここでご紹介するのは『新羅五陵』という古墳です。この古墳は名前の通り“5つ”ある古墳なのですが、その中には何かお話が隠されてる様なんです。5つという数字も何故5つなのか理由があるようですよ。史跡第172号、封墳高さ10m、直径20m。この古墳に隠された秘密を探りに行ってみましょう(・∀・)
蛇と深い関係がある!?新羅五陵
慶州市内平地西南のほうに位置した4基の封墳墓と1基の円形墓です。
【三国史記】には新羅初期の王陵で始祖・朴赫居世と第二代南解王、第三代儒理王、第五代婆娑王など新羅初期4人と朴赫居世の婦人である闘英王妃の5人の墓なので五陵という名前になっています。
朴赫居世が亡くなった七日後、その遺体が宙に浮き、5つに散らばり地に落ちたので人々はその遺体を又一つにし、埋没しようとしましたが、大きい蛇が出て来てそれを邪魔した為その5つを各々に分けて埋めたそうです。闘英王妃も朴赫居世が亡くなってすぐ、追いかけるように亡くなったそうで、朴赫居世の体の一部分と一緒に埋没されてあります。それによってこの墳墓は『五陵』又は『蛇陵』と呼ばれるようになりました。不思議なお話です。
内部構造は知ることが出来ませんが、墓の見た目は慶州市内にある他の三国時代の新羅封墳と同じ円く土を積み上げた円形封土墓で、1号基が高さ10mで一番大きく、2号基はひょうたん型で封墳が二個人、2人用の墓です。この様な大型円形封土墓は新羅では4世紀以後登場するので、朴赫居世当時の墓形式ではありません。