新羅初の女王、『善徳女王陵』の墳墓へ
みなさん、アンニョンハセヨ☆ご機嫌いかがですか+。:.゚ヽ(*´ω`)ノ゚.:。+゚さて、今回は街全体が文化財と言われている慶州にある古墳をご紹介致します。日本で言う京都みたいな街なんですが、ここには古墳が沢山ある他にお寺や天文台など、韓国の歴史を垣間見られる場所が所々にあります!そんな中でもここでご紹介するのは『善徳女王陵』の墳墓。あれ?どこかで聞いた事ある名前・・・。と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。そうです、韓国ドラマでも話題になったあの『善徳女王』のお墓ですよ。この王は新羅で初の女王であると同時に、日本の推古天皇に続いてアジア2例目の女性君主であるそうです。そして、神秘性を持ち合わせていて且つ聡明な人だったと言われています。ドラマにまでなり今の時代まで濃く伝えられている『善徳女王』の墳墓、早速行ってみましょう。
慶州の心臓部である狼山にある『善徳女王陵』
『善徳女王(そんどくじょおう 年生不詳~647年)』は新羅の第27代の王(在位:632年~647年)
新羅発の女王であると同時に、日本の推古天皇に続いてアジア2例目の女性君主であります。奇しくもその在位期間は同じく女性であった日本の皇極天皇と重なります。先代の眞平王の娘であり、王母は金氏の葛文王福勝の娘の摩耶夫人、王配は飲葛文王。三姉妹であり、男兄弟はいません。先王が632年1月に死去した時に男子がなく、又父母共に王族である聖骨の男子がいなくなっていた為に徳曼がその呪術者的性格に期待されて王位を継ぎました。即位して後に聖祖皇姑の号が国から奉られましたが、現代の韓国においては『善徳女王』とも呼ばれています。新羅第28代王の真徳女王とは従妹であります。
『善徳女王』の陵墓は646年頃造成されました。
1969年8月27日史跡第182号に指定され、狼山保護区域に含まれて居ます。四天王寺の上、狼山にあり現在の状態は封土下にまわりの石を積んだ円形の土墳です。まわりの石は雑石を斜めに二段積み、その他にポツリポツリとまわりの石の高さと同じほどの台石をかけて置いたそうです。これに押されて武烈王陵の封土下に露出した自然石の一部分は結局この様な形式の石が封土に置かれたと推定されます。その他には表飾儀物が無くただ全面に床石がありますが、これは後世に設置されたものです。
『善徳女王』の神秘性・聡明さの表れとして、このような予知を行ったと伝えられています。
一つは、唐の太宗が牡丹の花の絵と種を贈った時に、その花には香りが無いであろうと言った事。理由を尋ねられると「この花の絵には蝶や蜂が描かれていない。どんな美女でもその色香で男達が群がるので、花に群がる虫がいない事から香りが無いと解った」と答えました。
もう一つは自分の死の年月を予測して忉利天の中に埋めてほしいと言った事。群居はの場所が分からず尋ねると、狼山の南であると答えました。後に毗曇の内乱が起こったときに女王は予測した通りの月に亡くなって狼山の南に葬られましたが、さらに十余年後に文武王によって女王陵の下に四天王寺が建てられました。忉利天とは須弥山の頂上にある帝釈天の住む世界であって、帝釈天が四天王を従えていることから、四天王の上にある忉利天の世界に葬られることを言い当てた、と理解されたものです。
善徳女王は仏教の保護にも熱心であり、慈蔵法師を唐に派遣して仏法を修めさせました。慶州は仏教にとても深い繋がりがある場所。色んな名所を回ってみると物語が見えてくるはずです。あなたもぜひ歴史の街、慶州で素敵な思い出を。