ソウルの古い伝統家屋が建ち並ぶ北村
北村は、景福宮と昌徳宮、宗廟の間に位置する場所に、伝統韓屋が密集しているソウルの代表的な住宅地域です。そして、多くの史跡と文化財、民族資料があり、都心の中の生きた博物館街といわれる場所でもあります。。清渓川と鐘路の北側に位置し上(北)の町と言う意味から“北村(プッチョン)”と呼ばれるようになりました。漢陽(ソウル)の中心部にあり、また北岳山の南斜面に位置しています。李朝時代、朝廷で地位の高い官吏や王族、士大夫(官吏)が居住する高級住居地として、また当時政治・行政・文化の中心地だったところです。現在の北村は900棟あまりの韓屋が残っていますが、紆余曲折の時代を乗り越えて、今の美しい姿を保ってきたのです。
仁寺洞の北側に位置
北村は、地下鉄3号線安国駅(アングギョッ)2番出口を出て、まっすぐ北へ5分ほど歩いた一帯にあります。ここは、誰もが知っているあのドラマ!「冬のソナタ」のロケ地、で有名になったところで、ユジンとチュンサンが通ってた高校があります。そして、数年前まではユジンの家もあったのですが、今は新しく立て直され小物屋さんに代わっています。なので、韓流ファンにとっては、まさに北村が韓流の聖地ともいえるでしょう。その他、東林メドゥブ(組みひも)博物館、北村生活史博物館、韓尚洙刺繍博物館、嘉会博物館など、楽しい博物館が目白押しです。そして、少し南に下って行くと仁寺洞があるので、仁寺洞とセットで観光するのを、お勧めします。
守り続けてきたからの美しさ
北村は、遠い昔から今の姿を保ってきた訳ではありません。紆余曲折の時代を乗り越えたからこそ、この美しい姿を見せてくれているのです。日帝時代に多くの日本人がソウルにやって来た為、ソウルの住宅事情は悪くなりました。このような住宅不足に対して、民間で区画整理が行われ、住宅の売買を通じて利益を得ようとする住宅経営会社が登場し、この住宅不足のため、土地区画を行なって、以前とは違った形の韓屋が急速に建設されたました。現在、北村の代表的な韓屋密集地域は、全てこの時に住宅経営会社によって集団的に建設されたもので、家屋の住居地として、総合的に建設された後に分譲されました。このような韓屋の住居は、独立後、1960年代初頭まで継続的に建設され、ほぼすべての地域が韓屋で満ちていました。1960年代後半から1970年代前半にかけて本格的な江南の開発が始まった事によって、江北地域の人たち
の多くはは、江南に移り住み、江北地域の学校なども江南地域に移転することになりました。 学校が移転し、その跡地に新築された裁判所や図書館などの大規模な施設は、北村地域の景観を大きく変える大きな要因になりました。学校移転地の開発に伴う変化が広がると、韓屋の保存の必要性が台頭してきました。 民俗景観地域の指定の議論の末、1983年美観地区指定で本格的な韓屋の保存政策が施行されました。しかし、この時期の韓屋の保存方針は、住民との議論や合意なしに、行政主導で行われたものであり、韓屋を文化財のように厳格に規制する方式で、また、北村の道を拡張するために、多くの家屋を撤去するなど、二重的な行政運営と多くの住民の不満を持っていました。1990年代、住民たちの連続的な建築基準の緩和の要求に応じて、ソウル市は規制を緩和しましたが、これをきっかけに多世帯住宅の新築が本格的に行わ
れるようになりました。その後、北村全域で韓屋撤去後は、集合住宅の建設が広がって北村の景観が急速に破壊され始めました。1999年、住民たちとソウル市が一緒に新しい北村を造っていくという政策を樹立しました。北村の保全と管理のため、今までの一方的な規制とは異なり、住民の自発的意思に基づいている韓屋の登録制を根幹とし、現代生活の要求を受け入れながらも韓屋固有の美しさが保たれるように韓屋修理を誘導、支援し、管理するようにしました。また、住民の積極的な参加と活動で村の環境を改善して、居住地としての魅力を出すために、北村を育てて行くことにしました。そして、2001年から本格的に施行され、今日に至っています。
北村八景・フォトスポットを探せ!
いかがでしたか?北村は何度行っても飽きない場所です。どこを歩いても韓国らしい景色が広がっていて、特に北村八景というフォトスポットがあって、そこから撮る写真の景色は最高です。地面にフォトスポットと書いてあるタイルが埋め込まれているので、それを探しながら、ゆっくり歩いてみるのも素敵です。仁寺洞まで行ったら是非一度立ち寄ってみてくださいね。