都会の中のオアシス・・・宣陵
宣靖陵は、宣陵と靖陵の略称で、一般的には宣陵と呼んだりもします。宣陵は朝鮮王朝9代目の王(成宗)の墓で、靖陵は、韓国ドラマ「チャングムの誓い」で知られた朝鮮王朝11代目の王(中宗)の墓、そして成宗の3番目の側室であり中宗の母(貞顯王后)の3つの墓があることから三陵公園とも呼んでいます。朝鮮時代の王の墓としてはソウルの都心に一番近い所にあると言えます。ここ宣陵は、中は公園のように散歩道もあって、大都会ソウルのど真ん中に“よくこんなところがあるなぁ”と思うくらい静かな時間が流れています。昔と現在が共存するような雰囲気を感じることができ、ゆっくりと1時間くらい散歩する感覚で、朝鮮王朝の王陵の雰囲気を感じてみましょう。
大都会のど真ん中にある朝鮮王陵
宣靖陵は、
地下鉄2号線宣陵駅8番出口を出て、5分ほど歩いた所にあります。江南のビル群の中にありながら一歩中に入ると、大都会とは別世界の風景が広がります。お昼の休み時間になると、近くで働いているサラリーマンやOL達も憩いを求めてやってきます。お弁当を持って散策するには、もってこいの場所です。そして、
朝鮮王陵40基が2009年 6月30日
ユネスコ世界遺産に登録されたと同時に、ここ宣靖陵もユネスコ世界遺産となりました。朝鮮王朝のお墓が40基も完全な形で残っているのは世界でも稀なことなので登録にいたりました。
宣靖陵の主・・・成宗と中宗
宣陵は韓国ドラマ
「王と私」に出てくる、
朝鮮王朝9代目の王・
成宗(1457~1494)の墓と成宗の3番目の側室であり中宗の母である貞顯王后の墓をいい、靖陵は、韓国ドラマ
「チャングムの誓い」で知られた朝鮮王朝11代目の王・
中宗の墓をいいます。そして3つの墓があることから三陵公園とも呼ばれています。成宗は世祖の長男である懿敬世子の二男として生まれ、幼い頃から聡明で度量が広く、世祖から太祖に似ていて気性と学識に優れているだろうという称賛を受けるほど、とても可愛がられたそうです。また、成宗は1469年睿宗の崩御に伴い13歳で即位しました。成宗の治世は“文化の黄金期”と呼ばれるほど、世宗と世祖が成した政治的功績を土台に輝く文化政策を拡大させた時期でした。また、中宗(1488~1544)は朝鮮王朝第9代目の王・成宗の次男として生まれ、燕山君の治世で荒れた政治を立て直し趙光祖などを重用して王道政治を実現するために力を尽くしました。
ゆったりとした時間の流れ
陵寝(陵の主人眠ってる場所)の守っている石造たち
石台は魂が降りてきて遊ぶところ
一段高くなってる陵寝空間
くつろぎの空間
丁字閣の後ろには高くなった陵寝が・・・
紅箭門と参道
丁字閣
丁字閣の中の祭祀を行う祭壇
斎室
王の待機室入口に足を踏み入れた瞬間から大都会ソウルの雑踏からひきはなされ、ゆっくりとした時間が流れていきます。入口を入って左から順番に回っていくと、まず成宗のお墓、
宣陵が現れます。宣陵の陵寝の一番手前には紅箭門があり、これは神聖な地域の目印となる門で、朱塗りの円柱2本を立て上には箭(矢)がはめこまれています。紅箭門を通ると丁字閣までつながる石畳の道、参道があり左側が少し高くなっていて神道といい、亡くなった王の道とされ右の少し低い道は御道といい祭享を行う王の道となってます。丁字閣の中には朱色に塗られた台があり、祭祀の時ここにお供え物を置きます。そして、その後ろから陵寝空間となり一段高く丘のようになっていて、横の狭い道を登って行くと陵寝までたどりつけます。一番奥には丸く盛られた山そのものが、まさに成宗の封墳(墓)。この陵寝の周りには、まるで陵を守ってるかのように虎・羊・馬そして文人・武人の石造が並んでいます。そして、ふつうの時間帯は陵寝の中まで入れないのですが、午前10時半と午後2時半には開放されるので、その時間に会わせて行く
のをお勧めします。次に進んでいくと
貞顕王后陵があらわれます。この周りには鬱蒼と生い茂る松林に囲まれていて、ここがソウルということを忘れるぐらい自然がたっぷり残っています。そして、この宣陵は同原異岡陵といって王と王妃の丁子閣の後ろの左右に一基ずつふたつの丘に造られたものをいいます。また少し歩いて行くと
靖陵にでます。ここは規模も造りも宣陵とほぼ同じく一基だけの単陵となっているため中央に丁字閣があるのが違うくらいです。入口に近いところに斎室という、祭祀を行うときのお供え物を作ったり、王が休憩したりする建物があり、その横には
樹齢500年越す銀杏の気が立っていて圧巻です。この木は本来べつの場所から移植されたものですがこの大樹っが陵の守り神的な役割をはたしています。いかがでしたか?あわただしい韓国旅行も楽しいですが、たまにはこんな
ゆっくりしたソウルを味わってみるのも、いいのではないでしょうか。