朝鮮王朝 第4代王世宗と第17代王孝宗が眠る王陵 英陵・寧陵
韓国の人たちから李瞬臣と並んで絶大な人気を誇っている朝鮮王朝第4代王・世宗大王と后昭憲王后が、いっしょに祭られてるお墓を英陵と言い、第17代王・孝宗が祭られてるお墓と、その后、仁宣王后のお墓ふたつを合わせて寧陵と言います。そして、その英陵、寧陵を二つ合わせて英寧陵とも呼ばれています。世宗大王は。ハングル(訓民正音)の制定を行ったことが、とても有名で、その他にも人々が必要とする、いろいろな道具を造り出したりもしました。儒教の理想とする王道政治を展開したとされ李氏朝鮮の歴代君主中もっとも優れた君主とされています。また孝宗は、長い間、人質として清に滞在していた王です。王位についてからは、北伐の計画を強力に推し進めた王として知られています。
驪州のパワースポット
英陵・寧陵は、車を飛ばして約2時間、
驪州プレミアムアウトレットのある驪州郡に位置しています。ここ驪州には、
朝鮮王朝末期激動の時代を生き、暗殺された閔妃(明成皇后)の生家があります。陶器の里、そして韓国の米どころ
利川もとなりに面しているので、利川観光や驪州プレミアムアウトレットへショッピングのついでに立ち寄れる場所となってます。陵の中に入るといろんな種類の木々が生い茂っていて、なだらかな坂道を登って行く途中には小川が流れていて、まるで森の中を歩いてるような錯覚さえ起こさせるぐらい緑の多いところです。また、英陵と寧陵の入り口は別々にありますが、陵内にはふたつの陵を結ぶ森の中の
散歩道があり、
毎年5月15日から
10月31日の
朝9時から
夕方17時まで開放されています。その森の散歩道を歩くだけでも、十分に森林浴ができるでしょう。
▲英陵・寧陵の見どころ図 ①丁字閣 ②英陵 ③禁川橋 ④寧陵 ⑤斎室
世宗大王と孝宗
朝鮮時代の第4代国王であった
世宗大王(セジョンデワン)は、1397年5月15日、第3代国王・太宗の第3王子として生まれました。世宗大王は、
ハングルを作っただけでなく、
農業や科学技術、
医学技術の発展に尽くし、
市民のための政治を行い、
経済や
社会、
文化など様々な面において偉大なる功績を残しました。それゆえ、後に人々から「世宗大王」と呼ばれるようになったのです。また一万ウォン札貨幣に描かれていることでも有名です。ハングルを作った当初は「民を教える正しい音」という意味の「訓民正音」(フンミンジョンウム)と呼ばれていました。当時のハングルは28文字ありましたが、音韻の変化により4文字少なくなり、現在は10の基本母音と14の基本子音があります。非常に覚えやすく独創的な文字体系であるハングルは、その価値が世界中から認められており、1997年10月には『
訓民正音解例本』(訓民正音を作る目的と文字の使用方法が書かれている解説本)が
ユネスコ世界記録遺産に登録されました。また、世宗大王が訓民正音(ハングル)を作った当初は、民衆が文字を知り賢くなると、両班(貴族層)は自らの利益が横取りされるのではないかという心配から、訓民正音の作成に反対しました。そのため訓民正音をつくる作業は隠密に進められたために、正確な記録は残っていなかったので最初は10月29日をハングルの日と定めていました。しかし『訓民正音解例本』が発見され、本に書かれているのを確認した結果、20日前の10月9日に制定された事がわかり、その日をハングルの日と定められるようになりました。また、
景福宮の前の光化門広場にある世宗大王の像の地下には「世宗物語」(セジョンイヤギ)と言う、世宗大王に関することがわかる展示場に無料で見る事ができるので、ぜひ一度訪れて見て下さい。また、
孝宗(コジョン)は仁祖(インジョ)の二番目の息子で1619年5月22日に生まれ、1626年鳳林大君に奉じられましたが、1636年、丙子胡乱で兄である昭顯世子と一緒に8年間清の沈陽で人質生活を送り、やがて釈放されてから1646年、昭顯世子が変死した後、彼の後を引き継いで王世子に冊封され1649年5月13日即位しました。孝宗は即位後、大同法を実施して“常平通宝”を鋳造して貨幤を広く普及させました。また、朝鮮王朝が受けた屈辱を克服しようと清の征伐を計画しましたが、志を果たす事が出来ずに1659年5月4日在位10年で崩御されました。
世宗大王陵・英陵
孝宗陵・寧陵
ゆっくり歩いて森林浴を・・・
英陵・寧陵いかがでしたか?ソウルから、そんなに遠い場所ではないので、ゆっくり世宗大王に思いをはせながら、散歩道を歩いて見てはいかがでしょうか。訓民門を出たところにも世宗大王の残した、いろいろな道具を見学できるので、それだけでも十分に勉強になると思うので、ぜひ一度訪れて見てはいかがでしょう。